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菅野香さんがベトナム社会主義共和国より表彰状と盾を送られました

5-2ナースステーションの菅野香さんが、ベトナム社会主義共和国より、日越国交樹立40周年に際して両国の友好協力について顕著に貢献があったため盾を、またベンチェ省への医療貢献に関する表彰状をいただきました。管野さんが取り組まれている海外医療ボランティア活動についてご紹介します。

1.参加している協会について教えてください
私が属する特定非営利活動法人日本口唇口蓋裂協会は、国連を有するNGOです。主にベトナムをはじめとする東南アジア8カ国における口唇口蓋裂などの先天的な口の病気をもつ方々への医療活動、現地医療者への技術指導また、先天異常に関する学術調査により、同国の援助を目的にしています。H4年1月1日に発足され昨年までに約200名の医療関係者がボランティアとして参加している口唇口蓋裂についての非営利ボランティアとしては我が国最大の協会です。これまでに実施した子供達の無償手術は3000名以上に達しています。

2.ボランティア活動へのきっかけは?
私が初めてボランティア活動をはじめたのは、H13年12月でした。口腔外科の三古谷歯科医師が、H12年に初めてベトナムミッションに参加して手術室経験のある看護師を必要とし、活動に賛同して欲しいと看護部へもちかけたのがはじまりでした。任命された時は、私の中でのベトナムは発展途上国という古いイメージしかなく、その中での子供達の手術に関わる事はかなりの不安がありました。しかし、すぐに協会のホームページを見て口唇口蓋裂の子供達が捨てられたり、成長しても手術もできていない人、日本とはかけ離れた現状に驚きました。「自分にも何か助けられる事があるのならやってみよう」と決心したのがきっかけとなり今につながっています。

3.ベトナム社会主義共和国の口唇口蓋裂の子供達
私が参加している場所は、ベトナム社会主義共和国の南部メコンデルタの中でも、ベトナム戦争当時枯葉剤が大量に散布されたことでも有名なベンチェ省という所です。映画「戦場の黙示録」の舞台になった場所というとご存知の方もいるかと思います。戦争はかなり前に終わっており、今更枯葉剤と思うでしょうが、枯葉剤の散布された土壌の食物を食べたお母さんから母胎を通して先天性奇形児出生の原因の一つとも考えられています。今回、口唇口蓋裂のため親に捨てられ、近所の人が交代で面倒をみていて、日本人が無償で手術をしているという情報をラジオで聞いて近所のお婆さんが連れてきたという事例がありました。口唇口蓋裂のため栄養がうまくとれず5歳児にしてはかなり小さい女の子でした。術後目を覚ますと、言葉の分らない日本人に囲まれ一人ぼっちで回復室のベットの上で泣いていました。言葉が通じなくても肩をなでて励ますことでその子は安心したのか寝てしまいました。
ベトナムの経済発展と共に最近では見られませんが、ボランティア参加後数年はオムツをしている子供はいませんでした。私は毎回紙オムツを大量に買い込み大荷物で出国してました。患者は子供だけではありません。私が活動中で最高齢は60歳のお婆さんでした。貧しくて手術ができなかったため60年も口唇口蓋裂のまま家族以外の人とは関わることなく過ごしてきたということでした。術後は通訳さんを通じて「鼻から麺を出さずフォーが食べられる」と泣いて私達に感謝の言葉が述べられました。

4.マイクロクレジットについて
協会の活動としてマイクロクレジットがあります。これは、手術をして治療をするだけではなく、手術を受けた家族が貧困から自立を図り、子供達が必要な医療や教育を受けられるようにすることを目的に行われています。日本円で3万円ほどのお金を貸し付け、それを元に豚や鶏を飼育したり、ミシンを購入し収入となる物を作り家庭の収入とします。病気があることで肩身の狭かった子供達が自分がいることで、家族が無担保でお金を借りて家計を助けることが出来たという、子供の立場が少しは良くなるという副次効果があるそうです。

5.主な活動
手術はベンチェ省のグエンディンチュー病院の手術棟の3室を借りて1日12事例の手術を5日間行います。昨年H25年度の受診者数は1日で108人、うち手術ができたのは48例で残りは次年度への持ち越しとなります。現地の医師もかなり技術を習得し手術はできるのですが、無償ではないのでなかなか手術はできません。ですから毎年、年末になるとラジオで協会部隊の日程が流れているそうです。手術室には手術台と麻酔器とワゴンが2台ずつありますが、必要物品の全ては日本から持参します。看護師の参加数は毎回一番少ないため、現地のスタッフが直接介助に入ることもあります。英語を話せるスタッフもほとんどいないため、紙に必要最低限の言葉や器具の名称を日本語とベトナム語で記入し、手術の流れはその場で身振り手振りで指導しています。
 手術はもちろんですが昨年手術を行ったお宅訪問もかかしません。マイクロクレジットにより生活はうまく営まれているのか毎年時間の許す限り廻ります。また、クリスマスには障害児学園の訪問もします。看護部をはじめ私の活動を知っているスタッフや医師にも毎年御協力をいただいている、学用品やぬいぐるみを持っての訪問は孤児や障害を持つ子供達が楽しみにしています。

6.終りに
7回の活動で私が常に考え皆さんに伝えたいことは、今の現状は大変贅沢であること、日本の医療や看護がいかに優れているかということ、それにおごることなくチーム医療の中で看護師としてできることを自分で見つけ看護する喜びを感じ、常に自分の職務に誇りを持っていくことです。



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